日本銀行は3日、銀行が保有する株式の買い取りを2月中にも再開すると発表した。買い取り総額は1兆円で、2010年4月末までの時限措置とする。株式相場の下落で銀行の体力が弱まって貸し渋りにつながり、さらに株価下落を招く悪循環を遮断する狙いだ。白川方明総裁が3日午後、記者会見して詳細を説明する。
日銀が銀行保有株を買い取るのは、持ち合い解消に伴う株価下落を軽減する目的で02年11月~04年9月末に総枠3兆円で買い取りを実施して以来、約4年4か月ぶりだ。
今回の買い入れ対象は、上場株式のうち「BBBマイナス」相当以上の格付けのある株式とする。株式保有額などで条件を満たすのは3メガ銀行など大手8行、地方銀行24行あり、希望すれば1行あたり2500億円を上限に買い取る。
買い入れた株式は12年3月末まで市場での売却をしない。17年9月末までに相場への影響を抑えながら徐々に手放す方針だ。
銀行保有株を巡っては、政府も銀行等保有株式取得機構を通じ、最大20兆円規模の買い取りを計画している。
銀行の4~12月期決算では保有する有価証券の評価損計上が相次ぎ、財務内容が急激に悪化している。多額の損失で、健全性を示す自己資本比率が低下すれば銀行の貸し出し余力が乏しくなる。
財務省は10~12年度の歳出・歳入の推計をまとめた。借金返済と社会保障費が増え、12年度に一般会計の歳出総額は95兆円余りになる一方、税収は伸び悩み、新規の国債発行額は過去最大の39兆円に膨らむ見通し。
推計は、09年度予算案の歳出入を基本に算出した。「10年に世界経済が順調に回復する」と想定。名目経済成長率が09年度の0.1%から12年度に2.2%まで伸びることを前提に試算した。
試算では、09年度に過去最大の88.5兆円となる歳出総額は、12年度に95.4兆円に達する。借金の元利払いに回る国債費が09年度の20.2兆円から12年度に25.3兆円に膨らむのが最大の要因だ。
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企業に代わって株主名簿を管理
Thu 22 Jan’09
三菱UFJ信託銀行は21日、契約先である上場企業約1600社に対し、各社の株主情報を分析して提供する経営支援システムを導入する方針を明らかにした。年明けから始まった株券電子化で名義書き換え業務がなくなったことで、信託銀行では証券代行業務の収入が落ち込んでいるという。三菱UFJ信託は新システムを基にコンサルティング業務を強化し、手数料の減収を補う考えだ。新システムは22日から稼働。企業は、最新の株主の居住地や年齢、保有期間などのデータを無料で入手できる。議決権の行使履歴を示す有料サービスを使えば、敵対的買収や株主代表訴訟などに備える上で参考になる。
証券代行は、企業に代わって株主名簿を管理し、名義の書き換えや配当金の支払い、新株発行などを行う業務だ。三菱UFJ信託の場合、契約先に応じて年間、数百万円から10億円程度の手数料収入がある。
電子データとなった上場株式の取引が5日午前9時から始まり、証券各社は証券保管振替機構(ほふり)が運用を始めた新システムで顧客からの売買注文を処理した。決済処理に一時、遅れが出たが、システム全体への影響はなかった。今後、株主は、株券を売買する際に証券会社の窓口に持ち込む手間が省けるほか、盗難や偽造の心配がなくなる。配当金を証券会社の自分の口座で受け取れるなど、利便性も向上する。
だが、自宅などに保管されているいわゆるタンス株を、ほふりに預け入れなかった株主は、株式の発行会社が信託銀行などに開設する特別口座に、保有している株式のデータが自動的に移されてしまう。売却する場合、株主は証券会社に自分の取引口座を開いて、特別口座からデータを移す手続きが必要だ。手続きは1月26日以降、信託銀行などでできるが、手続きが終わるまで売却はできない。
また、日本証券業協会は、無効となった紙の株券の購入を持ちかけるといった詐欺行為への警戒を呼びかけている。
証券代行は、企業に代わって株主名簿を管理し、名義の書き換えや配当金の支払い、新株発行などを行う業務だ。三菱UFJ信託の場合、契約先に応じて年間、数百万円から10億円程度の手数料収入がある。
電子データとなった上場株式の取引が5日午前9時から始まり、証券各社は証券保管振替機構(ほふり)が運用を始めた新システムで顧客からの売買注文を処理した。決済処理に一時、遅れが出たが、システム全体への影響はなかった。今後、株主は、株券を売買する際に証券会社の窓口に持ち込む手間が省けるほか、盗難や偽造の心配がなくなる。配当金を証券会社の自分の口座で受け取れるなど、利便性も向上する。
だが、自宅などに保管されているいわゆるタンス株を、ほふりに預け入れなかった株主は、株式の発行会社が信託銀行などに開設する特別口座に、保有している株式のデータが自動的に移されてしまう。売却する場合、株主は証券会社に自分の取引口座を開いて、特別口座からデータを移す手続きが必要だ。手続きは1月26日以降、信託銀行などでできるが、手続きが終わるまで売却はできない。
また、日本証券業協会は、無効となった紙の株券の購入を持ちかけるといった詐欺行為への警戒を呼びかけている。
— posted by サイト管理者 at 05:39 pm
火元とみられ
Fri 09 Jan’09
6日午後4時ごろ、千葉県松戸市常盤平7丁目の常盤平公団住宅の無職田之口舞さん(23)方から煙が出ているのを、通行人の男性が気づき、119番通報した。団地の1室約40平方メートルが全焼し、焼け跡から子ども3人の遺体が見つかった。
松戸市消防局や松戸東署によると、この部屋には田之口さんと、長男翼(たすく)ちゃん(4)、次男嵐(あらし)ちゃん(3)、長女海美(うみ)ちゃん(生後6カ月)が住んでいたが、子ども3人の行方が分からなくなっている。遺体は3人の可能性が高いとみられ、確認を急いでいる。出火時、田之口さんは外出していた。
3人の遺体は、和室の畳の上で見つかった。この部屋付近の燃え方が一番激しく、火元とみられる。部屋にはストーブなどはなかったといい、出火原因を調べている。
田之口さんの部屋は、鉄筋コンクリートの4階建ての最上階にある。近所の人の話では、田之口さん一家は1年半ほど前にこの団地に引っ越してきたという。
関係者によると、田之口さんは同日午後3時半ごろに子どもたちを家に残し、近くの病院に行っていたらしい。午後4時半ごろ、田之口さんは自宅に戻ってきたという。
松戸市消防局や松戸東署によると、この部屋には田之口さんと、長男翼(たすく)ちゃん(4)、次男嵐(あらし)ちゃん(3)、長女海美(うみ)ちゃん(生後6カ月)が住んでいたが、子ども3人の行方が分からなくなっている。遺体は3人の可能性が高いとみられ、確認を急いでいる。出火時、田之口さんは外出していた。
3人の遺体は、和室の畳の上で見つかった。この部屋付近の燃え方が一番激しく、火元とみられる。部屋にはストーブなどはなかったといい、出火原因を調べている。
田之口さんの部屋は、鉄筋コンクリートの4階建ての最上階にある。近所の人の話では、田之口さん一家は1年半ほど前にこの団地に引っ越してきたという。
関係者によると、田之口さんは同日午後3時半ごろに子どもたちを家に残し、近くの病院に行っていたらしい。午後4時半ごろ、田之口さんは自宅に戻ってきたという。
— posted by サイト管理者 at 06:54 pm
台湾や華南では
Sat 27 Dec’08
梅雨の平均期間
地域 梅雨入り 梅雨入り最早日/最遅日 梅雨明け 梅雨明け最早日/最遅日 期間 期間降水量
沖縄地方 5月8日ごろ (4月20日/6月4日) 6月23日ごろ (6月10日/7月9日) 47日 (那覇市)35.5 ~ 1240.5mm
奄美地方 5月10日ごろ (4月20日/5月26日) 6月28日ごろ (6月10日/7月15日) 50日 (奄美市)134.0 ~ 1492.5mm
九州南部 5月29日ごろ (5月1日/6月21日) 7月13日ごろ (6月24日/8月8日*) 46日 (鹿児島市)271.5 ~ 1730.3mm
九州北部(山口県を含む) 6月5日ごろ (5月19日/6月22日) 7月18日ごろ (7月1日/8月3日*) 44日 (福岡市)161.5 ~ 1379.0mm
四国地方 6月4日ごろ (5月19日/6月21日) 7月17日ごろ (7月1日/8月2日*) 44日 (高松市)87.0 ~ 538.1mm
中国地方(山口県除く) 6月6日ごろ (5月8日/6月21日) 7月20日ごろ (7月3日/8月3日*) 45日 (広島市)127.5 ~ 899.3mm
近畿地方 6月6日ごろ (5月22日*/6月25日) 7月19日ごろ (7月3日/8月1日*) 44日 (大阪市)77.6 ~ 726.6mm
東海地方 6月8日ごろ (5月4日/6月28日) 7月20日ごろ (6月22日/8月2日*) 43日 (名古屋市)74.8 ~ 587.8mm
関東甲信地方 6月8日ごろ (5月6日/6月22日) 7月20日ごろ (7月6日/8月4日*) 43日 (東京・大手町)67.9 ~ 556.0mm
北陸地方 6月10日ごろ (5月22日/6月28日) 7月22日ごろ (7月9日/8月14日*) 43日 (新潟市)73.0 ~ 548.0mm
東北地方南部 6月10日ごろ (6月1日/6月26日) 7月23日ごろ (7月5日/8月9日*) 44日 (仙台市)89.0 ~ 487.5mm
東北地方北部 6月12日ごろ (6月2日/7月3日) 7月27日ごろ (7月8日/8月14日*) 46日 (青森市)37.0 ~ 371.0mm
北海道地方 - - - - 0日 -
小笠原諸島 - - - - 0日 -
昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値), 代表地点における梅雨期間降水量(参考)より抜粋
「梅雨入り」「梅雨明け」「期間」は、1971年~2000年の平均。
梅雨入り・明け最早日/最遅日の*は、「特定せず」となった年があるため参考値であることを示す。
期間降水量は、各地域の代表的地点である()内の都市の、梅雨期間中の最多・最小降水量を目安として示した。
[編集] 梅雨予想の歴史と意義
気象庁が梅雨入り・梅雨明けの情報提供を始めたのは1955年(昭和30年)頃とされ、「お知らせ」として報道機関に連絡していた。ただし気象庁としては、この情報提供は積極的に行わない方針であった[2]。気象情報として発表を始めたのは1986年(昭和61年)になってからである。理由として大雨による災害に関心を持ってもらうことだったとしている[3]。
[編集] 中国大陸部・台湾
中国中部・南部、台湾でも梅雨が見られる。中国大陸部では各都市の気象台が、台湾では中央気象局が梅雨入りと梅雨明けの発表を行っている。ある研究では、1971年~2000年の各都市の梅雨入り・梅雨明けの平均値で、長江下流域の梅雨入りは6月14日、梅雨明けは7月10日、淮河流域の梅雨入りは6月18日、梅雨明けは7月11日となっている[1]。
目安として、台湾や華南では、5月中旬ごろに梅雨前線による長雨が始まり6月下旬ごろに終わる。時間とともにだんだんと長雨の地域は北に移り、6月中旬ごろから7月上旬ごろに華中(長江中下流域)、6月下旬ごろから7月下旬ごろに華北の一部が長雨の時期となる。長雨はそれぞれ1ヶ月ほど続く。
[編集] 朝鮮半島
朝鮮半島南部では、6月下旬ごろから7月下旬ごろに韓国の一部が長雨の時期となる。長雨は1ヶ月ほど続く。韓国気象庁は、各地域の梅雨入りや梅雨明けの発表を行っており、事前に梅雨入りや梅雨明けの予想も行っている[4]。
[編集] 気象現象の特徴
九州南部に位置する鹿児島市の雨温図。梅雨にあたる6月~7月の雨量が突出して多い。また同時に、気温の上下幅がやや縮小していることが分かる
梅雨がないとされる、北海道に位置する札幌市の雨温図。6~7月の雨量は少ない。秋雨に当たる8月~10月の雨量が多い
[編集] 一般的な特徴
梅雨入り前の5月~6月ごろ、梅雨に似た天候が見られることがあり、これを走り梅雨(はしりづゆ)、梅雨の走り(つゆのはしり)、あるいは迎え梅雨(むかえづゆ)と呼ぶ。
梅雨入り当初は比較的しとしととした雨が連続することが多い。梅雨の半ばには、一旦天気が回復する期間が出現することがある。この期間のことを、梅雨の中休み(つゆのなかやすみ)と言う。
良く理解できました。
地域 梅雨入り 梅雨入り最早日/最遅日 梅雨明け 梅雨明け最早日/最遅日 期間 期間降水量
沖縄地方 5月8日ごろ (4月20日/6月4日) 6月23日ごろ (6月10日/7月9日) 47日 (那覇市)35.5 ~ 1240.5mm
奄美地方 5月10日ごろ (4月20日/5月26日) 6月28日ごろ (6月10日/7月15日) 50日 (奄美市)134.0 ~ 1492.5mm
九州南部 5月29日ごろ (5月1日/6月21日) 7月13日ごろ (6月24日/8月8日*) 46日 (鹿児島市)271.5 ~ 1730.3mm
九州北部(山口県を含む) 6月5日ごろ (5月19日/6月22日) 7月18日ごろ (7月1日/8月3日*) 44日 (福岡市)161.5 ~ 1379.0mm
四国地方 6月4日ごろ (5月19日/6月21日) 7月17日ごろ (7月1日/8月2日*) 44日 (高松市)87.0 ~ 538.1mm
中国地方(山口県除く) 6月6日ごろ (5月8日/6月21日) 7月20日ごろ (7月3日/8月3日*) 45日 (広島市)127.5 ~ 899.3mm
近畿地方 6月6日ごろ (5月22日*/6月25日) 7月19日ごろ (7月3日/8月1日*) 44日 (大阪市)77.6 ~ 726.6mm
東海地方 6月8日ごろ (5月4日/6月28日) 7月20日ごろ (6月22日/8月2日*) 43日 (名古屋市)74.8 ~ 587.8mm
関東甲信地方 6月8日ごろ (5月6日/6月22日) 7月20日ごろ (7月6日/8月4日*) 43日 (東京・大手町)67.9 ~ 556.0mm
北陸地方 6月10日ごろ (5月22日/6月28日) 7月22日ごろ (7月9日/8月14日*) 43日 (新潟市)73.0 ~ 548.0mm
東北地方南部 6月10日ごろ (6月1日/6月26日) 7月23日ごろ (7月5日/8月9日*) 44日 (仙台市)89.0 ~ 487.5mm
東北地方北部 6月12日ごろ (6月2日/7月3日) 7月27日ごろ (7月8日/8月14日*) 46日 (青森市)37.0 ~ 371.0mm
北海道地方 - - - - 0日 -
小笠原諸島 - - - - 0日 -
昭和26年(1951年)以降の梅雨入りと梅雨明け(確定値), 代表地点における梅雨期間降水量(参考)より抜粋
「梅雨入り」「梅雨明け」「期間」は、1971年~2000年の平均。
梅雨入り・明け最早日/最遅日の*は、「特定せず」となった年があるため参考値であることを示す。
期間降水量は、各地域の代表的地点である()内の都市の、梅雨期間中の最多・最小降水量を目安として示した。
[編集] 梅雨予想の歴史と意義
気象庁が梅雨入り・梅雨明けの情報提供を始めたのは1955年(昭和30年)頃とされ、「お知らせ」として報道機関に連絡していた。ただし気象庁としては、この情報提供は積極的に行わない方針であった[2]。気象情報として発表を始めたのは1986年(昭和61年)になってからである。理由として大雨による災害に関心を持ってもらうことだったとしている[3]。
[編集] 中国大陸部・台湾
中国中部・南部、台湾でも梅雨が見られる。中国大陸部では各都市の気象台が、台湾では中央気象局が梅雨入りと梅雨明けの発表を行っている。ある研究では、1971年~2000年の各都市の梅雨入り・梅雨明けの平均値で、長江下流域の梅雨入りは6月14日、梅雨明けは7月10日、淮河流域の梅雨入りは6月18日、梅雨明けは7月11日となっている[1]。
目安として、台湾や華南では、5月中旬ごろに梅雨前線による長雨が始まり6月下旬ごろに終わる。時間とともにだんだんと長雨の地域は北に移り、6月中旬ごろから7月上旬ごろに華中(長江中下流域)、6月下旬ごろから7月下旬ごろに華北の一部が長雨の時期となる。長雨はそれぞれ1ヶ月ほど続く。
[編集] 朝鮮半島
朝鮮半島南部では、6月下旬ごろから7月下旬ごろに韓国の一部が長雨の時期となる。長雨は1ヶ月ほど続く。韓国気象庁は、各地域の梅雨入りや梅雨明けの発表を行っており、事前に梅雨入りや梅雨明けの予想も行っている[4]。
[編集] 気象現象の特徴
九州南部に位置する鹿児島市の雨温図。梅雨にあたる6月~7月の雨量が突出して多い。また同時に、気温の上下幅がやや縮小していることが分かる
梅雨がないとされる、北海道に位置する札幌市の雨温図。6~7月の雨量は少ない。秋雨に当たる8月~10月の雨量が多い
[編集] 一般的な特徴
梅雨入り前の5月~6月ごろ、梅雨に似た天候が見られることがあり、これを走り梅雨(はしりづゆ)、梅雨の走り(つゆのはしり)、あるいは迎え梅雨(むかえづゆ)と呼ぶ。
梅雨入り当初は比較的しとしととした雨が連続することが多い。梅雨の半ばには、一旦天気が回復する期間が出現することがある。この期間のことを、梅雨の中休み(つゆのなかやすみ)と言う。
良く理解できました。
— posted by サイト管理者 at 04:54 pm
世界食料機構が発表した統計資料
Sat 13 Dec’08
[編集] 品種
ベニアズマ、ベニコマチ、紅赤(べにあか)、金時などの品種がある。でんぷん原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)など。
シモンイモ- 南アメリカ原産の白甘藷(英語:Ipomoea batatas)は日本では「シモン芋」とも呼ばれる。
天然着色料の原料
七福人参(カロテン色素を多く含む)
琉球紫
パープルスイートロード(アントシアニン色素を多く含む)
[編集] 別名・地方名
琉球いも、りゅうきいも、からいも(唐芋)と呼ぶ地域もある。沖縄ではウム、ンム、伝来当時は蕃薯(はんす)。対馬地方では孝行芋とも呼ばれる。 和食においては、丸十と呼ばれる。これは、薩摩藩島津氏の家紋が丸に十字であることが由来と言われる。
[編集] 産地
[編集] 世界
世界食料機構が発表した統計資料(FAO Production Yearbook 2002) によると、2002年の全世界における生産量は1億3600万トンであり、主食となるイモ類ではジャガイモ(同3億700万トン)に次ぐ。生産地域は中国に極端に集中しており(ジャガイモの生産量も中国が首位にある)、その大部分は酒類等への加工用である。日本の生産量は103万トン(世界シェア0.8%)であり、順位では8位である。
中国 1億1500万トン(84.0%)
ウガンダ 250万トン(1.8%)
ナイジェリア 250万トン(1.8%)
インドネシア 175万トン(1.3%)
ベトナム 173万トン(1.3%)
サツマイモ畑
[編集] 日本
日本における主産地
鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国のトップ5県。この5県で全国の8割、とりわけ鹿児島県は全国の4割を産する(2005年産農林水産省作物統計)。同県ではでんぷん原料用としての作付けも多い。
ブランド産地
徳島県 - 鳴門金時(なるときんとき)
石川県 - 五郎島金時(ごろうじまきんとき・ 加賀野菜)
[編集] 日本列島におけるサツマイモの歴史
伝来史
1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。野國総管(明への進貢船の事務職長)が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。
後に麻平衡・儀間親方真常によって琉球全域に広められ、王国民を飢餓から救ったと伝えられている。
1609年、薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家久は、江戸幕府の許可を得て琉球を攻め、幕府による鎖国が続く中、琉球からの年貢および明、清との交易を通じて、異国の文物、情報を得ることになる。
その後尚寧王より薩摩へ、また1698年には尚貞王より種子島へ送られ、種子島久基の命により種子島での栽培が始まった。なお、三浦按針が1615年平戸(長崎県)に持ち帰り九州で栽培が始まった。
1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷翁」として地元であがめられ、サツマイモの神様として祭られている。
1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。そして起用されたのが、青木昆陽であった。当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が、町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は、同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。
1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。
幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。
参考にしています。
ベニアズマ、ベニコマチ、紅赤(べにあか)、金時などの品種がある。でんぷん原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)など。
シモンイモ- 南アメリカ原産の白甘藷(英語:Ipomoea batatas)は日本では「シモン芋」とも呼ばれる。
天然着色料の原料
七福人参(カロテン色素を多く含む)
琉球紫
パープルスイートロード(アントシアニン色素を多く含む)
[編集] 別名・地方名
琉球いも、りゅうきいも、からいも(唐芋)と呼ぶ地域もある。沖縄ではウム、ンム、伝来当時は蕃薯(はんす)。対馬地方では孝行芋とも呼ばれる。 和食においては、丸十と呼ばれる。これは、薩摩藩島津氏の家紋が丸に十字であることが由来と言われる。
[編集] 産地
[編集] 世界
世界食料機構が発表した統計資料(FAO Production Yearbook 2002) によると、2002年の全世界における生産量は1億3600万トンであり、主食となるイモ類ではジャガイモ(同3億700万トン)に次ぐ。生産地域は中国に極端に集中しており(ジャガイモの生産量も中国が首位にある)、その大部分は酒類等への加工用である。日本の生産量は103万トン(世界シェア0.8%)であり、順位では8位である。
中国 1億1500万トン(84.0%)
ウガンダ 250万トン(1.8%)
ナイジェリア 250万トン(1.8%)
インドネシア 175万トン(1.3%)
ベトナム 173万トン(1.3%)
サツマイモ畑
[編集] 日本
日本における主産地
鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国のトップ5県。この5県で全国の8割、とりわけ鹿児島県は全国の4割を産する(2005年産農林水産省作物統計)。同県ではでんぷん原料用としての作付けも多い。
ブランド産地
徳島県 - 鳴門金時(なるときんとき)
石川県 - 五郎島金時(ごろうじまきんとき・ 加賀野菜)
[編集] 日本列島におけるサツマイモの歴史
伝来史
1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。野國総管(明への進貢船の事務職長)が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。
後に麻平衡・儀間親方真常によって琉球全域に広められ、王国民を飢餓から救ったと伝えられている。
1609年、薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家久は、江戸幕府の許可を得て琉球を攻め、幕府による鎖国が続く中、琉球からの年貢および明、清との交易を通じて、異国の文物、情報を得ることになる。
その後尚寧王より薩摩へ、また1698年には尚貞王より種子島へ送られ、種子島久基の命により種子島での栽培が始まった。なお、三浦按針が1615年平戸(長崎県)に持ち帰り九州で栽培が始まった。
1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷翁」として地元であがめられ、サツマイモの神様として祭られている。
1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。そして起用されたのが、青木昆陽であった。当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が、町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は、同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。
1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。
幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。
参考にしています。
— posted by サイト管理者 at 11:15 am














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